テンジロウのブログ

音楽とか読書とか日常とか

震災の事を忘れちゃいけないと思い、おこがましくも書かせていただきます。

テンジロウです。

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日本には「東日本大震災前」と「東日本大震災後」があると思う。

 

俺は東日本大震災がおこった2011年3月11日に何処で誰と何をしていたのか、はっきり覚えている。

妻に聞いてみてもやはり「覚えている」と言う。

 

俺は、仕事で岐阜県大垣市に10名以上の人達といた。

その中には東京から来ていた人も数名。

 

仕事の疲れもそろそろ出てきた14時46分18秒といわれている頃。

俺はユラユラと目まいを感じたような気がした。

その頃仕事が忙しかったのもあり「あぁ疲れてるな」と思ったぐらいだった。

周りの人達も特に変わりなく平常通りにしていた。

やはり皆そんな風に「あぁ疲れてるな」とか「今日は早く帰ろう」とか「まだ昨日の酒抜けてねえわ」ぐらいに思っていたのかもしれない。

まだその時は普通に皆過ごしていた。

 

程なくして、東京から来ていた人が「なんか会社に電話が繋がらない」と言い出した。

程なくして、「どうも地震があったらしい」という情報も入ってきた。

それが分かると皆

「そういえばさっき揺れたような気がしたわ」

「目まいかと思ってた、最近働きすぎだし俺」

「やっぱりそうですか?私もですよ」

「また血圧上がってきちゃたのかと思ったわ」

「今日、何時の電車で東京に戻られるんでしたっけ?」

なんて談笑していた。

東日本大震災発生直後、みんな談笑していた。

 談笑してしまったのも無理はない、この時はまだ皆「東日本大震災前」の住人であったのだから。

 

俺も少しは気になって、当時の後輩に電話をしてみた。

俺「そっちどうだ?揺れたか?大丈夫か?」

後輩「揺れましたけど、全然大丈夫ですよ、みんな普通に仕事してますよ」

俺「あっそ、もうちょっとでこっち終わるから、終わったらそっち行くからさ」

後輩「ち~す」

まだ俺も後輩も「東日本大震災前」の住人であった。

 

その日、家に帰ってテレビを観た時。

俺が「東日本大震災後」の住人になった瞬間だった。

福島第一原発から煙があがっている映像、津波の映像・・・

画面の左下には「海岸線が点滅している日本地図」が表示されている。

津波警報だ。

アナウンサーが、なんだか同じ言葉を延々と繰り返している。

どこのチャンネルに合わせても同じような番組、それは「震災後の日本」が始まった事を伝えていた。

本当に日本は終わったのかもしれないと思った。

 

とはいえ、俺の住む地域は然して被害も無く、日常生活を続けていく他無かった。

朝起きて飯を食い、仕事をして帰って寝る。

だがやはり、仕事には多大な影響はあった。

中止となった仕事、調達できない資材。

数々の営業自粛、節電の為、街の夜もいつもより早く訪れた。

 

23時頃、仕事の帰り道、名古屋市内の大きな幹線道路。

「震災前」であれば、いつも車が行き交っていた名古屋市内の幹線道路。

その夜走っていたのは俺一人、周りを見ても誰もいない。

ひっそりとした暗く大きな幹線道路で全ての信号機が赤を示していた。

闇しかない風景の中で信号機だけが赤く強烈に光っていた。

あの景色は忘れない。

本当に日本は終わるかもしれないと思った。

 

あれから8年。

日本がそんな簡単に終わるわけはなかった。

俺みたいなボンクラが偉そうに言うことじゃないけど、俺みたいなヘタレに偉そうに言われたくないと思うけど。

今「震災後の日本」は強く生きている。

戦争でボコボコにされても、震災でボロボロにされてもその度に強く立ち上がる国、日本。

日本政府がとか、国が、とかじゃなく日本人が強く立ち上がる国、日本。

 

俺は本当に日本人でよかったと思っている。