テンジロウです。
前回からの続きです。
もしよろしければお付き合いください。
↓↓↓前回の、(その1)はこちらです。↓↓↓
そんな辛く悲しかった合唱部員の小学4年生も終わり、5年生になると水泳部に入部した。
ようやく自分の意志で入部した水泳部は楽しかったと思うが、正直そんなに覚えていない。
ただ同じく水泳部員のクソガキEと一緒に、同じく水泳部員の友人N君の競泳パンツに育毛剤を内緒で塗りたくっておいた事と、ビート板の角を股間に押し付けるとなんか気持ちイイという事実を知ったという事は覚えている。
ちなみに何故その時、育毛剤を持っていたのかは全く覚えていない。
今考えると俺の髪の毛が薄いのは、友人N君の祟りかもしれないな。
ちなみにこのクソガキEは10年程前に東京でIT企業を立ち上げたと言っていたが、今はどうしているのか分からない、昔からコンピュータとか好きな奴だったな。
そういえば俺は小学校の卒業生代表に選ばれ、答辞を読まされた様な気がする。
やっぱり俺って優等生だったのかな。
勉強なんか大嫌いだったが。
俺の親父はあんまり学のある方では無く、その為俺には勉強をさせようと必死だったようだ。
「勉強しろ!」「なんでこんな問題が分からないんだ!」俺は泣きながら問題集をやっていたような記憶がある。
こんな事では勉強なんて苦痛以外の何物でもないわけで、勉強が大嫌いになってしまったのである。
まぁ今思えば、うちなんかより厳しいご家庭は沢山あるわけで、ただ俺が甘ちゃんで勉強には向かなかったってだけかもしれない。
そんなこんなで中学に進学するわけだが、通学することになった学校は二つ上の3年生の先輩方が素晴らしく荒れ狂っている中学校だった。
3年生の4割ぐらいが不良だったのではないかと思う。
校内で「あんなヤバい事やこんなヤバい事」を平気でやっちゃってる様な中学校だった。
そうなると俺の友達だったワルガキ達も徐々に不良化してくるわけで、中1の2学期には色々とヤンチャな事をするようになってしまうわけだ。
所謂真面目な中学生であった俺は自然とワルガキ達とは離れ、他の真面目な中学生達と友達になっていくのである。
しばらくはワルガキ達とあまり関わる事の無い中学校生活を送った。
それなりに勉強もして、水泳部なんかも頑張った中学校生活だった。
ただ余りそのころの友達との交流の記憶が無い。
実はそれほど友達付き合いが無かったのかもしれない。
中2の2学期か3学期の頃には、俺は再びワルガキ達と行動を共にするようになっていた。
きっかけは覚えていない、多分自然の流れだったと思う。
所謂真面目な友達といるよりも、ワルガキ達と一緒にいる方が単純に居心地がよかった。
とはいえ根が真面目な俺はワルガキ達とただ一緒にいるというだけで、あまりヤンチャな事に直接手を出すことは無かったし、それなりに勉強なんかもしていた。
まぁヘビースモーカーな中学生にはなっていたが。
そうなると周りは俺の事もワルガキと認定するわけで、学校からも問題児の烙印を押されるのである。
中学3年の時に母親と三者面談の席に着いた時には
担任「テンジロウ君は卒業したらどうするの?」
俺「高校に行く」
担任「そうなの?えっとねえ、テンジロウ君が行ける高校なんて無いよ」
母親「どうしてですか?」
担任「成績はそれなりですが、素行が悪すぎます」
母親「・・・・・・」
なんて面談が繰り広げられた。
俺にはこの面談がショックだった。
ここから少し生活態度を改めようと思ったような気がする、これはマズイなと。
ただワルガキ達とは相変わらず一緒にいたけど。
サラッと自己紹介するだけのつもりでしたが・・・長くなってしまっている。
またまた次回に続きます。
次回はサラッといきます。