テンジロウです。
反町隆史さん主演の「リーガル・ハート~いのちの再建弁護士~」というドラマを観ました。
私、反町隆史大好きなんだよね。
「GTO」とか「杉原千畝」とか。
今回は倒産寸前の会社を立て直す弁護士さんの話です。
実在の弁護士さんがモデルのようです。
話の展開が熱いです。
面白かったです。
銀行が悪役すぎるのが少し気になりましたが。
もう少しお互いの立場を丁寧に描いてくれるといいかなと思いました。
小池栄子さんが非常に奇麗でした、あの人いつまでも変わりませんね。
とりあえずこれから毎週観るつもりです。
このドラマの中で、「会社分割」という再建手法が使われました。
私はそれを観て「あっ~~~~~~!!!! これ!!」と思わず声を上げてしまいました。
会社分割とはその名の通り会社を分ける事です。
例えば優良部門と不採算部門を別々の会社に分けてから、その後不採算側を倒産させる。
すると優良部門側は生き残り、会社は存続するわけです。
瀕死の経営者を救うのには非常に有効な手段だと思います。
しかしドラマの中でも言っていましたが「禁じ手中の禁じ手」のようです。
私なりの解釈では、簡単に言うと「トカゲの尻尾切り」ではないかと。
私は22歳の時に、この会社分割ってやつを経験しているのです 。
不採算部門側の従業員として、所謂トカゲの尻尾です。
以前自己紹介でサラッと会社が倒産したと書きましたが、今回はその時のことを書こうかなと思います。
1998年9月14日「その会社」は会社分割を行った。
結果、不採算部門側の従業員だった俺は切り捨てられた。
私が「その会社」に入社したのは高校を卒業した年の1994年4月だった。
「その会社」は建設業。
その中でも設備工事を主に行う、管工事業を営む会社だった。
社員20名程度の中小企業、零細企業と言ってもいいかもしれない。
営業部、技術部、工務部の3つに分かれていて、私は工務部に所属していた。
工務部とは現場で施工管理を行う部門であった。
施工図といわれる図面を作成し、実際に工事を行う職人や作業員に指示を出し管理監督するのである。
当時工務部は部長以下、新入社員の私を含めて6人。
零細企業にありがちな全員忙しすぎて、下の者の面倒など見てられない状態。
私は右も左も分からない現場に置き去りにされ、上司からは「とりあえず現場に居て」と言われ、半放置状態にされていた。
新入社員の私は仕事ってこんなものかなぐらいに思って、何とか日々を過ごしていた。
その頃私はバンドをやっていたこともあり、自分の生活の中で仕事に重きを置いていなかったので続いたのかもしれない。
意欲のある新入社員であれば速攻で辞めてしまってたと思う。
そして私が入社して1年後の1995年の4月、驚くべき事が起こった。
なんと半分以上の社員が会社を辞めたのである。
同時に。一気に。
若かった私には何が起こったのか、さっぱり分からなかった。
聞くところによると、どうも営業部の社員が新しく会社を立ち上げて10人近くの人間を連れて辞めたらしいとの事だった。
それ以外にも数人リストラされた人間もいたようだ。
工務部に残ったのは部長と私の2人だけ。
技術部も確か2、3人。
営業部には誰もいなくなった。
総務に1人だったかな?
後は社長と専務。
会社は総勢8人程度になってしまったと思う。
それでも自分の生活の中で仕事に重きを置いていなかった私は、余り深刻に考えることは無かった。
その後も「その会社」は人が入っては辞め、入っては辞め、を繰り返していた。
はっきり言って人の出入りは激しかったと思う。
そんな環境の中でも私は少しずつ経験を積み、何とか仕事もこなせるようになってきて、サボり方なんかもそれなりに確立されてきた頃。
また驚くべきことが起きた。
技術部に5人、工務部に私入れて4人、営業部に1人、総務に2人となっていた1998年の春ごろだと思う。
資材の卸業者が資材を売ってくれなくなったのである。
さすがにこれは困った、何せ資材が無ければ現場が進まない。
その場で現金で払えば売って貰えるのだが、売掛はしてもらえなくなったのである。
その上、会社に反社会的勢力っぽい方々がよく訪れるようになった。
私には何の話をしていたのかは分からないが、いつも部長が対応していた。
それでも個人的には仕事は忙しく、私は毎日現場を走りまわっていた。
まだまだ要領が悪かった事もあったのだろう、それこそ休みも全然なかった。
1998年8月の終わりか9月の始めごろだったと思う。
仕事が間に合ってなかった俺は日曜日に休み返上で会社に出勤した。
すると驚くべき事が起こっていた。
なんと事務所の真ん中に壁を立てて仕切る工事をしていたのである。
ちょうど技術部と、私の所属していた工務部を仕切る形で壁を立てているのである。
なにが行われているのかさっぱり分からなかった。
今思えばこれが会社分割の始まりだった。
不採算部門の工務部を別会社にして切り捨てる布石だったのである。
しかしそんな事はその時の私にはまだ分からなかった。
専務がその場にいたが、何も話してはくれなかった。
それでも私の日常は続き、毎日仕事に明け暮れていた。
そして1998年9月14日、私はいつもの様に出勤し製図台に向かい図面を描いていた。
そんな朝の9時過ぎだったと思う。
社長と専務が以前の半分の面積となった私たちの事務所に現れた。
そして社長はこういった。
「今日この時をもちまして、この会社は終わります。今から1時間以内にこの事務所から出てください。もう2度とここに入る事は許されませんので必要な物は持ち帰るように。誠に申し訳ない」と。
「は?終わるってどういう意味?帰れって?現場はどうするんだ?」
会社ってこんなにあっさり無くなるのねってのが私の感想だった。
いや違う、前兆やサインは無数にあった、ただそれを私が理解していないだけだった。
そして泣きじゃくる社長の奥さんから失業手当の手続方法を教えてもらった私たちは「その会社」から退出した。
優良部門であった技術部を「新会社」として残し、不採算部門の私たち工務部は切り捨てられた。
こうして「その会社」は無くなったのである。
その後「新会社」からお誘いをいただいた。
しかし私は丁重にお断りした。
だってそうだろ、何故倒産の前に話をしてくれなかったのか?
ドラマの中では倒産の前に従業員の事を想い、全員に説明をしていた。
従業員の事を考えてくれている会社であれば当然説明をしてくれるのではないか?
しかし「その会社」からは事前に何の説明も無かったのである。
誰がどこまで事前に知っていたのか?
私はまったく何も知らなかった。
トカゲの尻尾に説明などいらないと思ったのか。
だがトカゲの尻尾にだって意地はある。
信頼関係も何もあったものじゃない。
私は「新会社」に世話になる気にはならなかった。
そして私は1か月ちょっとのプー太郎期間を経て今の会社に拾ってもらったのである。
その間、いろんな会社からお誘いを受けた、本当に有難かった。
あれからもう20年も経つ。
「その会社」には4年半ほどしか居なかったが、俺の人生において本当に大事な経験をさせてもらった。
懐かしいなぁ。
もう1回、同じ経験しろって言われたら死んでもイヤだけど。