先日、高校2年生の長女に将来どうしたいのか質問をした。
いや、あまりにもダラダラした生活態度にイライラして
問いただしたと言った方が正しいかもしれない。
「高校卒業したらどうするのか?」
「なんのために大学に行きたいのか?」
「学校に行って、帰ってきたらずっとスマホかテレビ
毎日毎日お前は何をやっているのか?」
「とりあえずスマホ没収」
等々・・・
1~2時間、話したかな?一方的に・・・
長女はほとんど話さない。
そして時折、目に涙を浮かべているように見えた。
でも言葉を口にしない。
妻が問いかけたり、声を掛けると話をする。
でも私の問いかけには、黙りこくってしまう。
埒が明かないと思ってしまった。
そして意を決したのか、やっと長女が発した言葉が
「まだ続く?」
「・・・」
唖然とした私は「もういいわ・・・寝る」と言って寝に行った。
正確には、その場から逃げてしまったのかもしれない。
しかし布団に潜っても私は中々寝付けなかった・・・
次の日の朝起きると、テーブルの上に手紙が置いてあった。
それは長女が私あてに書いた手紙だった。
書き始めはこう書いてあった。
「最近、大人に自分の気持ちを話そうとすると涙が出てきてしまって何も話せなくなる」
長女が涙ぐんでいたのは、これだったのかと私はやっとこの時理解した。
なんて鈍いんだろう・・・
手紙は2枚の用紙にびっしり書かれていた。
特に印象的だったのは、長女は私の事を尊敬も信用もしていないと書いてあったことだった。
「私はお父さんのことを尊敬もできないし、信用もしていない。
何か言おうとしても、私の言う事を遮って、あたかも自分が正しいと言わんばかりの暴論をぶつけてくる。だから何も話せなくなる」
文面は違うが、このような内容のことが書かれてあった。
長女は私をそのように見ていたのだなと初めて知った。
ショックであり反省した。
私は自分のことを話がしやすい大人だと勝手に思っていた。
でも、長女にとって私は尊敬に値しない、信用のできない大人だった。
私が若い時に最も嫌悪していた大人に、私自身がなってしまっていたのかもしれない。
私が子供の時に大嫌いだった、子供の反論を許さない大人に私自身がなっていたのかもしれない。
17歳の意見や考え方を無意識のうちに潰しにかかってしまう大人になってしまっていたのかもしれない。
考えてみれば45歳の大人に比べて17歳の少女の考えが幼くて甘いのは当たり前だ。
なんでそんな簡単な事に気付かなかったんだろう。
そんなことにも気づかずに自分の持論ばかりを長女にぶつけてしまっていたのかもしれない。
そんなことでは長女が何も話せなくなるのも当然で当たり前だ。
これからは少しだけ、一歩引いて長女を見ていようと思う。
もう少しだけニュートラルな気持ちで長女を見てみようと思う。
まずは親である私がリラックスをして、何かを待ってみようと思う。
親にできることなんて、そんなに多くない。
わかっちゃいるけど、あれこれ言いたくなってしまう。
まずは子供の反論を許せる大人になろう。
話はそれからだ。