テンジロウのブログ

音楽とか読書とか日常とか

「金を出すこと」以外に親にできることが、もうひとつあった

テンジロウです。

私には高校3年生と中学3年生の娘がいる。

 

ここだけの話、少し前に高校3年生の長女が

不登校気味になった。

原因も告げず学校を休んで、ただ家にいた。

f:id:tenjirou8989:20210616224701j:plain

2週間程度、布団からなかなか出て来ず・・・

最初のころは、一旦家を出たのにすぐ帰って来てしまったこともあった。

 

それがなぜか、今は元気になり学校に行くようになった。

 

結局、私たち親になにもできることは無かったわけだが、

唯一したことといえば「執着を捨てた」。

これだけだったように思う。

 

学校に行かなくなった最初のころは、

「長女に学校に行ってほしい」とか

「このまま休み続ければ、高校中退になってしまうのでは」とか

「とにかく学校に行け」とか思っていた。

実際に長女にそのようなセリフも発していた。

 

結果それは悪循環で、ますます長女は閉じこもってしまった。

 

1週間ほど経ったころから私は考え方を変えた。

よ~く考えてみた。

私は、夜寝れなくなるぐらいには悩んだ。

 

夜寝れなくなるほど悩んだのは、あの時以来だ・・・

(その時の話は、また別の機会に)

 

そして出た結論は「学校なんてどうでもいい」だった。

私が考え抜いて出した結論だ。

 

よく考えたら、私は長女に学校に行って欲しいなんて

心の底では思っていないことに気づいた。

私が望んでいるのは、長女に明るく元気でいてくれることだった。

 

子供たちも日々戦っているといったら大袈裟だろうか。

家から一歩出れば、気の休まらない出来事ばかりだろう。

打ちのめされて疲れ切ってしまうこともあるだろう。

そんな時、家の中ぐらいは安心して休息できる場所で

あったほうがいいと思っただけである。

 

「高校ぐらいは卒業しなければならない」

「いい成績を取らなければならない」

「一生懸命勉強しなければならない」

「毎日、学校にいかなければならない」

そんな親の執着が子供を苦しめてしまうことがあるんじゃないか?と思った。

 

子供だって、外に出たら大変なんだ。

せめて家族ぐらいは、安らぎの場所でいてあげたいと思っただけである。

 

だから私は「学校に行かなければならない」という執着を捨てた。

長女が引きこもっていても、出来るだけニコニコ過ごしたし

自分の生活を楽しんだ。

「学校なんて行きたくなかったら行かなくてもいい」と長女の自由にさせた。

そして今は、とにかく心を休めて欲しいと願った。

 

すると登校拒否が始まって2週間ほど経ったころだろうか

再び長女は学校に通いだした。

何か吹っ切れたような表情さえしていたように思う。

 

まだ心配だが、とりあえず長女は再び動き出してくれた。

 

今回のことで気づいたことがある。

「金を出すこと」以外に親にできることが、もうひとつあったのだ。

それは「居場所をつくってあげること」だ。

 

そのようなことを、ももはなさんもブログで仰っていた。

この記事は非常に学びになった。

リンクを貼っておくので、もし興味があれば読んでみて欲しい。

however-down.hatenablog.com

 

例えば戦闘機だって、安心して帰還できる基地や母艦が必要なように。

子供たちだって、安心して帰ることができる場所が必要なんだよ。

 

子供たちが元気で明るく過ごしてくれること以上に大事なことって。

ちょっと思いつかない。